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"カッコよく生きるをあきらめない"30代パパブロガーが送るLIFESTYLEブログ

自由に生きる人と縛られて生きる人の違い

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こんにちは、ブラザーケントです。

この記事では、自由に生きる人と縛られて生きる人について、堀江貴文さんの著書"すべての教育は「洗脳」である"から考えてみたいと思います。

自由に生きることを求めるあなたのお役に立てたら嬉しいです。

 

"すべての教育は「洗脳」である"の本質

堀江貴文さんの著書"すべての教育は「洗脳である」"は、2017年3月に光文社新書から発売された新書です。

え、本のタイトルは自由に生きることと関係ないじゃないかって?

一見、そうみえるかもしれません。

でも実は、関係あるんです。

というか、読み進めていくとわかるのですが、実はこの著書、本質的には教育について書かれている本ではありません。

本の章建てだけご紹介すると、

第1章 学校は国策「洗脳機関」である

第2章 G人材とL人材

第3章 学びとは「没頭」である

第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!

第5章 会社はいますぐ辞められる

となっています。

2章と3章は、たしかに人材とか学びとか、教育に関連した内容がありそうな章タイトルですが、読んでみるとそこまで教育について掘り下げてはいません。

じゃあ最初の1章だけかと思うと、1章の内容はおおざっぱに言って次の3つです。(僕の解釈です)

・いまの学校教育が国家という枠組みをよりよくするために機能していること

・にも関わらず、国家という枠組みの影響力が弱まってきていること

・弱まってきた原因は、インターネットであること

教育の話は最初の3分の1だけだ!

そうです、教育について書かれているのは本全体の10分の1程度ではないでしょうか。

ではこの本はなんについて書かれた本なのか。

この本は、不本意に縛られているものから解放されて自由に生きるための本なのです。

 

Nの崩壊とG人材/L人材

先ほど1章の内容として紹介した"国家という枠組みの影響力が弱まってきていること"を、著書の中では、

『国民国家(N)という幻想が崩壊する』

引用ページ:p50

と書かれています。

Nは国家、つまりNationのことだね。

なぜ国民国家(N)が崩壊するのかについてはぜひ著書を読んでいただきたいと思いますが、堀江さんはNが崩壊するとその国家に住んでいた人々は"G人材"と"L人材"に別れていくと書いています。

G人材はあらゆる壁を超えて世界規模-"グローバル"を行動範囲とする人で、L人材は絆やコミュニティを大切にしてローカル-"地元"に根付く人のことを指します。

*G人材とL人材の違い*

  G人材 L人材
N幻想 なし あるが地元レベルにとどまる
人物像 合理的・寛容・フラット 情緒的・排他的
大切なもの 自分のやりたいこと 仲間との絆
フットワーク 軽い・変化を好む 重い・変化を嫌う
豊かさの指標 情報 お金・モノ
こだわる場所 なし 地元
生きている時間 現在 過去の思い出
希少性 高い 低い

引用ページ:p51-表1

僕の勝手なイメージでは、G人材というとそれこそ堀江貴文さんや、中田英寿さん、高城剛さんのような人を思い浮かべます。

逆にL人材というと、実家の工場やお店を継いだ店主や社長さんのようなイメージが思い浮かびます。

僕ははじめて著書を読んだとき、G人材とL人材をとても極端に考えてしまっていました。

しかし、完全なG人材などまずいないと思います。

それこそ僕が思い浮かべたような有名人や著名人ばかりで、数えられるほどしかいないでしょう。

だから著書を読んで「完全なG人材にならなきゃ!なりたい!」と無理に思う必要はないと思います。

逆に、完全なL人材という人もいまの時代では少ないのではないでしょうか。

地域のつながりだけで生きて、ネットやSNSを全くやらないなんて人は、ネットに疎いご高齢の方でも少なくなってきていると思います。

ですから、僕たち30代・40代ではまずいないと考えていいと思います。

僕が思うに、みんなG人材の部分とL人材の部分を人それぞれの割合であわせ持って生きていくんだろうと思います。

程度の問題ってことか。

 

自由に生きることの意味

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ではここから、G人材とL人材の分類を使って、記事タイトルの"自由に生きること、縛られて生きること"について考えていきます。

一見するとG人材のほうが先進的でかっこよくて、L人材は古くてつまらなさそうな印象をもちます。

G人材のほうが自由に生きていて、L人材のほうが縛られて生きているようにみえます。

しかし、そんなことはありません。それは著書の中でも触れられています。

L人材のコミュニティや絆は人を縛るもののように見えるかもしれませんが、素敵なつながりであると考えれば決して悪いことではありません。

たいせつな家族、やりがいのある仕事仲間、一緒に映画をみにいく学校の同級生、どれも素敵なつながりですよね。

だから、縛られていること自体は悪いことじゃないと思うんです。

つながりは、あなたが望まない不本意なものになったとき、縛られていると感じてしまうのではないでしょうか。

いがみ合ってしまう親子、モチベーションの低い職場、仲の悪い友だちなど、素敵なつながりもあなたが望むかどうかで束縛に変わってしまいます。

自由に生きているかどうかは、あなたがあなたが望んでいるかどうかで決まるのではないでしょうか。

自由に生きることとは、不本意な束縛から逃れて、本当に望むつながりだけで生きていくことではないでしょうか。

そんな生き方をするヒントが、著書にはたくさん散りばめられています。

 

"所有からの解放"というキーワード

僕が読んでいてヒントだなと強く感じたのは、「所有からの解放」というキーワードでした。

車は、自分でもたなくてもレンタルやシェアできるようになりました。

お金も、お札や硬貨をもっていなくてもチャージできるようになりました。

データも、HDをもたなくてもクラウドでアクセスできるようになりました。

もうすでに、所有から解放される状況は整いつつあるんだなと、まわりを見渡すことができました。

僕なりに自由に生きるための、ヒントになっていると感じます。

ここで僕が強くお伝えしたいのは、「所有からの解放」は「完全な分離」ではないということです。

離れても、またアクセスすればいいんです。

仕事も、人間関係も、繋がって離れてを繰り返していけばいいんです。

それは決して寂しいことではありません。

慣れるには時間が必要かもしれませんが、不本意な束縛があると感じているなら、自由に生きたいという願いがあるなら、ぜひいちど著書を読んでみてください。

必ずヒントが得られるはずです。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

ちなみに僕はこのブログの2記事目で、データ所有からの解放について書いていました。

よろしければご覧ください。

 

(注:この記事でいう「著書」はすべて堀江貴文さんの著書"すべての教育は「洗脳」である"を指しています。また、引用も全て著書からの引用です。)